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お勉強ノート あるいは、未来の自分へ向けた経過報告

お勉強のためのメモです。主なコンテンツは京都新聞の社説と心理学関係書籍の縮約、英文教科書の和訳です。目指しているのは「チャーリー・ゴードンの『経過報告』」。

第1章 信頼のパラドックス(4)

山岸俊男「信頼の構造」縮約

原文:8826字 縮約:2872字

第1のパラドックス
 信頼についてのもう1つの常識的な考え方は、信頼は親子の間や家族の中、顔見知りの関係が長く続いている安定した共同体の中で生まれたとする「常識」 ー 信頼の育成には社会的不確実性が存在しない環境が必要だとする「常識」 ー である。
 そのような関係では社会的不確実性が少ないため、そもそも信頼が必要とされていないはずであり、信頼は必要とされない状況で生まれるということになる。つまり、信頼が最も必要とされるのは、「常識的」には信頼がもっとも生まれにくい社会的不確実性が大きな状況においてであり、また「常識的」には信頼が最も育成されやすい安定した関係では信頼そのものが必要とされないという、逆説的な関係である。

第2のパラドックス
 第2のパラドックスは、2番めの前提、すなわち、信頼は社会的不確実性の低い関係において生み出されるという前提のみにもとづいている。具体的にはアメリカ社会と比べて安定した社会関係が大きな役割を果たしている日本での方が、他者一般に対する信頼である「一般的信頼」の水準が、アメリカ社会よりも低い水準にとどまっているというパラドックスである。
 日本社会、とくに日本のビジネス慣行は、欧米におけるような契約にもとづいててなされるより、信頼関係にもとづいてなされることが多い、少なくともアメリカ社会におけるよりも信頼が重要な役割を果たしている、とされている。そしてこの観点は、ほとんど「常識」とも言えるほど広く一般に受け入れられているように思われる。
 しかし、日米両国民を対象に行われた比較調査の結果は、この「常識」とは逆に、アメリカ人の方が日本人よりも他者一般を信頼する傾向が強いことを一貫して示している。山岸が行った研究(Yamagishi,1988a)では、日本人学生の一般的信頼の平均値よりも、アメリカ人学生の平均値の方がきわだって高いという結果が得られている。山岸みどりが発表した研究(Yamagishi.M & Yamagishi,1994)では大学生だけではなく、シアトル市と札幌市在住の市民からランダムに選んだサンプルを用いた比較が行われている。
 これらの研究で用いられた「一般的信頼尺度」(あるいはその先行バージョンの尺度)は、一連の実験研究での実験参加者の実際の行動をかなりよく予測しており、予測妥当性のかなり高い尺度だと言える。
 統計数理研究所が実施した日米両国民の代表サンプルを用いた研究においても、同様な日米差が観察されている。
 社会関係や人間関係がより安定して永続的であり、それらの関係が相互信頼によって成り立っている程度がより強いように思われる日本社会でのほうが、アメリカ社会でよりも、他者一般を信頼する傾向が低いという第2のパラドックスには、このようにしっかりした実証研究にもとづく根拠が存在している。

第3のパラドックス
 第3のパラドックスは、他者一般を信頼する傾向が強い人間は、通常考えられているように「騙されやすいお人好し」ではなく、むしろ逆に、他人が信頼できるかどうかを示唆する情報に対して敏感で、また実際に他人が信頼に値する行動を取るかどうかを正確に予測する傾向がある、というものである。
 我々は普段、他人を信用しやすい人間は世間知らずのお人好しだとする「常識」を見につけているが、この「常識」を否定するものである。

情報に対する敏感さ実験
 第3のパラドックスの存在が明らかとなったきっかけは、次の一連の実験(小杉・山岸、1995,1996)にある。
 具体的には、参加者は冊子に記載されたいくつかの場面で、登場人物が信頼に値する行動をとるかどうかの予想を実験参加者が行う。調べたいのは、「高信頼者」と「低信頼者」とで、登場人物の行動の予想が違うかどうかである。
 登場人物に関する情報も与えられている。例えば登場人物であるAさんに関して、「Aさんは、並んでいた列に割り込んできた」といった情報である。登場人物が信頼に値する行動をとるかそれとも利己的な行動をとるかの予想が、このような情報が与えられるにつれてどう変化するかを見るのが、この実験の目的である。
 この実験では、その登場人物が信頼できる人間であることを示唆するポジティブ情報と、その人物が信頼に値しない人物であることを示唆するネガティブ情報の、2種類の情報が参加者に与えられた。まず、情報なしで行われた登場人物の行動の予測についての高信頼者と低信頼者の比較においては、高信頼者の方が低信頼者よりも、登場人物が信頼に値する行動をとると予測する程度が高くなっている。このことは、実験参加者の分類に用いられた一般的信頼尺度が、参加者の一般的信頼の程度、すなわち、不特定の相手が信頼に値する行動をとるだろうと考える程度を、かなりよく反映していることを意味する。
 次に、登場人物の信頼性ないしその欠如を示唆する情報(ポジティブ情報とネガティブ情報)が与えられたときに、高信頼者と低信頼者とでは、そういった情報に対する敏感さが違うかどうかを見てみよう。常識的には、人間の善良さを信じやすい高信頼者よりは、人間性の善良さをあまり信じない低信頼者の方がネガティブな情報に対して敏感であり、逆に、高信頼者のほうが低信頼者よりもポジティブな情報に対して敏感だと考えられる。
 さて、実験の結果は、予想されたとおり、高信頼者は、登場人物の善良さを示唆する情報が与えられるにつれて評価をどんどん高めているのに対して、低信頼者はポジティブな情報が与えられ続けても、評価をそれほど高めていかない。ただし、このような違いは、統計的には有意な差であると言えない。
 また、高信頼者も低信頼者も、登場人物についてのネガティブな情報を与えられるにつれ、その人物の信頼性の評価を低めていく。さらに、与えられたネガティブな情報に対してどれほど急速に登場人物の信頼性の評価を低めるかに関して、「常識的な」予想に反して、高信頼者の方がネガティブな情報に対して敏感に反応している。統計的な分析の結果は、この差が有意な差であることを示している。
 要するに、ポジティブな情報が与えられた場合と、ネガティブな情報が与えられた場合のいずれにおいても、高信頼者の方が低信頼者よりも、登場人物についての情報により敏感に反応している、「注意深い」人間だということになる。
 筆者と小杉素子が行った(小杉・山岸,1996)第2実験でも、第1実験の結果はおおむね再現されている。
 これらの2つの実験結果は、一貫して以下の3点を示している。①登場人物についてなにも情報がない場合には、高信頼者は低信頼者よりもその人物の信頼性を高く見積もる傾向がある。また、②登場人物の善良さを示唆するポジティブな情報が与えられると、高信頼者も低信頼者もその人物の信頼性の評定を上昇させるが、その評定上昇の程度には高信頼者と低信頼者との間にあまり大きな違いが見られない。しかし、③登場人物の人間性につてのネガティブな情報が与えられると、低信頼者よりも高信頼者の方がその情報により敏感に反応して、その人物の信頼性の評価をより急速に低下させる。