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お勉強ノート あるいは、未来の自分へ向けた経過報告

お勉強のためのメモです。主なコンテンツは京都新聞の社説と心理学関係書籍の縮約、英文教科書の和訳です。目指しているのは「チャーリー・ゴードンの『経過報告』」。

第2章 信頼概念の整理(8)・・・ふたたび信頼のパラドックスについて

山岸俊男「信頼の構造」縮約

ふたたび信頼のパラドックスについて(原文:2613字 縮約:871字)

 まず第1のパラドックス―信頼が生まれやすいのは信頼が必要とされない安定した関係においてであり、信頼が必要とされる社会的不確実性の高い状況では信頼が生まれにくいというパラドックス―から見てみよう。

 第1のパラドックスは、次のように書き換えられる。安心が提供されやすいのは信頼が必要とされない安定した関係においてであり、信頼が必要とされる社会的不確実性の高い状況では安心が提供されにくい、と。さらに次のように書き換えることができる。安定した社会的不確実性の低い状態では安心が提供されるが、信頼は生まれにくい。これに対して社会的不確実性の高い状態では、安心が提供されていないため信頼が必要とされる、と。第1のパラドックスは、信頼と安心のとの区別がなされていないことによって、きわめて当然のことが逆説的に見えただけだと言える。

 次に、第2のパラドックスについて見てみよう。集団主義的な安定した社会関係が大きな役割を果たしていると考えられる日本での方が、一般的信頼の水準が、アメリカ社会でよりも低いというパラドックスである。このパラドックスについても、信頼と思われてるのは実は安心なのだと考えれば、納得がいくだろう。ただしこれだけでは、なぜ信頼水準に関するこのような差が存在するかを説明することはできない。

 最後に、第3のパラドックス。他者一般を信頼する程度の高い「高信頼者」は、騙されやすいお人好しどころか、逆に、相手が信頼できる人間かどうかをより正確に判断できる、というパラドックスである。

 理解する鍵は、信頼は注意を必要とするという点にある。社会的不確実性が低い環境で暮らしている人間は、まわりの人間が信頼に値する人間なのかどうかを判断する必要に迫られることがない。したがって、知らない人間は信頼できないと決めつけておかないと困ったことになる可能性がある。これに対して社会的不確実性の高い環境で、情報の適切な処理を学んできた人間にとっては、「人を見たら泥棒と思え」と決めつける必要性が少ないはずである。これが第3のパラドックスに対する謎解きの大筋である。